岐阜地方裁判所 昭和27年(ワ)244号 判決 1956年5月08日
原告 岐阜菓糧工業株式会社
被告 高井精司
主文
被告は原告に対し金六十四万七千五百八十六円及びこれに対する昭和二十七年十月二十五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
本判決は原告において金十五万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一、原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金百八十三万四千七百十五円及びこれに対する昭和二十七年十月二十五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする、との判決並に仮執行の宣言」を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。
一、原告会社はビスケツトの製造販売を主たる業務として、資本金百五十万円をもつて昭和二十二年七月設立され、被告は設立当初から昭和二十六年二月十六日まで原告会社の代表取締役に在任したのであるが、被告は右在任中昭和二十五年一月一日から同年末までの間に次の不正行為をなし、原告会社に損害を加えた。即ち、
(一) 被告は原告会社の第一別表<省略>記載の者等(いずれも原告会社の取締役)に対する立替金債権の弁済として同人等から同表記載のとおり合計二十三万四千円を受領しながら、これを原告会社の取引銀行である株式会社十六銀行加納支店に預金したと称し、その旨原告会社の帳簿に虚偽の記載をしてこれを原告会社に入金せず、そのまま横領し又は使途不明にし、もつて原告会社に同額の損害を与えた。
(二) 被告は理由なく第二別表のとおり原告会社の小切手を、原告会社の取引銀行宛に振出し、そのうち(ハ)(ニ)の各小切手は訴外渡辺芳一をして払渡を受けしめ、その他の小切手は被告自ら払渡を受けてこれを横領し、原告会社に小切手金合計四十四万四千百二十八円と同額の損害を与えた。
(三) 原告会社は昭和二十五年六月三十日訴外岐阜糖業株式会社から代金三十四万二千五百五十八円八十六銭に相当する砂糖を購入したところ、被告は右代金は三十八万五千五百三十九円十銭であるとしてその旨原告会社の帳簿に記入支出し、差額四万二千九百八十円(二十四銭切捨)を横領又は使途不明にし、もつて原告会社に同額の損害を与えた。
(四) 原告会社は訴外東京都台東区上野黒門町協同興業株式会社から「ビタミンカルシユーム」を購入し、その代金は昭和二十五年五月中原告会社が同訴外会社から受取るべき「ビスケツト」加工賃七十八万五十八円三十銭の債権と差引計算の上支払済であるにも拘らず、被告は前記カルシユーム代金は二万五千九百二十円であり、且つ未払であると称して昭和二十五年六月三十日原告会社から右金員を受取り、これを横領又は使途不明にして原告会社に同額の損害を与えた。
(五) 被告は昭和二十五年九月二十二日原告会社のために代金二万一千九百五十円に相当する紙袋を購入したが、右代金として原告会社から三万六千八百円を受取り、その差額一万四千八百五十円を横領又は使途不明にして原告会社に同額の損害を与えた。
(六) 被告は昭和二十五年十一月十七日前記訴外協同興業株式会社から原告会社の右訴外会社に対する「ビスケツト」加工賃債権百五万六千二百六十六円五十六銭の弁済を受け、そのうち五十二万四千二十円を着服横領して原告会社に同額の損害を与えた。
(七) 被告は原告会社が訴外富士工業株式会社から代金三万七千円に相当する紙袋を購入したことがないのに昭和二十五年九月二十二日二万円、同年十二月三十日一万七千円、合計三万七千円をいずれも前記代金の支払名義をもつて原告会社から支出し、これを横領又は使途不明にして原告会社に同額の損害を与えた。
(八) 原告会社には何等利息を生ずべき基本債務がないのに、被告は利息の支払名義をもつて昭和二十五年八月三十一日千六百七十四円、同年九月三十日千五百九十三円、同年十月三十日千四百三十四円以上合計四千七百一円を原告会社から支出し、これを横領又は使途不明にして原告会社に同額の損害を与えた。
(九) 被告は原告会社の昭和二十五年一月一日から同年六月三十日までの事業年度において退職積立金中から一万二千円、同年七月一日から同年末までの事業年度において退職積立金中から五千円、合計一万七千円を引出してこれを横領又は使途不明にし、もつて原告会社に同額の損害を与えた。
しかして右のとおり被告が横領又は使途不明にした金員合計百三十四万四千五百九十九円は、被告の不法行為によつて原告会社の蒙つた損害であるから、被告は原告会社に対しこれが賠償をなすべき義務のあるところ、被告は前記(六)の五十二万四千二十円の横領金を既に原告会社に弁償したので、被告は原告会社に対し八十二万五百七十九円を支払うべきである。
二 以上被告が横領又は使途不明にした金員合計百三十四万四千五百九十九円のうち第二別表(ロ)の百二十八万円を除く金額百三十四万四千四百七十一円は、所轄税務署において原告会社の利益金であつて、畢竟被告に支給された賞与と認定すべきであるとし、又これとは別に被告は原告会社のため昭和二十五年三月二十四日代金五万三千円に相当する石炭を購入して同日その代金を支払い、更に同月二十五日諸税金二万七千七百四円を支出したが、右二口合計八万七百四円は原告会社の帳簿上出所が不明のため、結局売上金のうち右金額の記載洩れがあるとしてこれ亦税務署において被告が受領した賞与と認定し、以上合計百四十二万五千百七十五円につき被告に対する昭和二十五年度の給与所得の源泉課税本税六十四万七千五百八十六円、源泉徴収加算税十六万千五百円合計八十万九千八十六円の課税を決定し徴収義務者である原告会社にその納付方を厳重に督促して来たので、原告会社は種々金策の末結局これを納入したが、その間相当の日時を要したので更に利子税、滞納加算税合計二十万五千五十円も同時に納付した。しかして原告会社が納付した以上合計百一万四千百三十六円は、納税義務者である被告において原告会社に償還する義務のあることは当然である。
三、よつて原告は被告に対し前記損害賠償金八十二万五百七十九円及び償還を受けるべき税金百一万四千三百十六円以上合計百八十三万四千七百十五円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和二十七年十月二十五日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及ぶ。
なお被告の本案前の抗弁事実を否認する。
第二、被告訴訟代理人は、訴却下の判決を求め、本案前の抗弁として、原告会社の代表者として本訴を提起した伊藤秀治は原告会社の代表清算人でないから、本訴は不適法却下を免れないと陳述し、本案につき原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、次のとおり答弁した。
原告会社がビスケツトの製造販売を主たる業務として資本金百五十万円をもつて昭和二十二年七月設立され、被告が設立当初から同二十六年二月十六日まで代表取締役に在任したことは認めるが、被告がその在任中不正行為により原告に損害を与えたことは否認する。即ち原告主張の、
(一) の事実中原告会社の帳簿に原告主張のとおりの記載がなされていることは認めるが、それは当時原告会社の会計事務を担当していた訴外棚瀬治郎吉及び工場長渡辺芳一が記載したものであつて、被告の関知するところでなく、その他の事実はすべて否認する。
(二) の事実中被告が原告会社の小切手を振出し、その支払を受けたとは認めるが、それはいずれも被告の原告会社に対する立替金債権の弁済を受けたまでのことであつて、横領したのではない。(三)(四)(五)の事実はすべて否認する。
それ等はいずれも前記棚瀬治郎吉の所為であつて、被告の関知せざるところである。
(六)(七)(八)(九)の各事実はいずれも否認する。
これを要するに、原告は帳簿上の記載の不備をとらえて直ちに被告が原告会社の金員を横領し、又は使途不明にしたと主張し、被告にその責任を追求するのであるが、帳簿の記載は一切会計係棚瀬治郎吉の専従事務であり、被告はかつてこれに関与したことがないのであつて、もとより被告に不正行為はないから、原告の損害賠償の請求は失当である。
次に原告主張の税金の償還請求については、原告の主張するとおり、税務署が被告に対する昭和二十五年度の給与所得の源泉課税本税及び源泉徴収加算税の課税をしたことは認めるが、その他の事実は否認する。そもそもいわゆる認定賞与に対する課税とは、課税の技術政策上会社から役員又は被用者に対し正規に支給した給与の外、現金又は物品などの支給があつたものと認められた場合に、これを賞与と認定してこれに課税することをいうのである。従つて本件の場合のように単に帳簿上使途不明、入金不明その他帳簿に不正記入がなされたことだけをもつて役員個人に支給した賞与と認定することは許されない。もし真に使途不明の金員があるとすれば、これは会社の利益処分として会社に対する所得税を課せば足るのであつて、被告に不正受領又は不正消費の事実がないのに認定賞与として課税することは違法である。故に原告会社はかかる源泉課税に応じて税務署に納付してはならないのであるから、原告会社がこれを納付したとしても、元来納税義務者でない被告に償還を求めることはできない。よつて原告のこの請求も失当である。
第三、証拠<省略>
理由
先づ被告の本案前の抗弁につき按ずるに、成立に争いのない甲第十一号証によれば、本訴提起前である昭和二十七年六月十九日伊藤秀治が原告会社の代表清算人に就任した旨登記がなされていることが明白であるから、一応伊藤秀治は正当に原告会社を代表し得る権限を有する者と推定すべきであるところ、本件に顕われた全証拠を検討するも右推定を覆すに足る反証がないので、伊藤秀治が原告会社の代表者でないことを前提とする被告の抗弁は採用できない。
よつて本案につき判断する。原告会社がビスケツトの製造販売を主たる業務として資本金百五十万円をもつて昭和二十二年七月設立され、被告が設立当初から昭和二十六年二月十六日まで原告会社の代表取締役に在任したことは当事者間に争いがない。
いずれも成立に争いのない甲第七号証ないし第十号証、同第十二号証、同第十三号証、同第十四号証の一ないし五、同第十六号証、証人翠逸治の証言によつて成立を認め得る甲第十七号証並に被告本人の供述によつて成立を認め得る甲第十八号証に、証人岩井実、日比登、翠逸治の各証言を綜合すれば、被告が代表取締役在任期間中に、原告主張の(一)の金額が帳簿上原告会社に入金となつているにも拘らず、使途が不明であること、(二)のように、被告が原告会社の代表者名義をもつて原告会社の取引銀行宛の各小切手を振出し、そのうち第二別表(ハ)(ニ)の各小切手は訴外渡辺芳一において、その他の小切手は被告自ら払渡を受けたこと、(三)のように、原告会社は昭和二十五年六月三十日訴外岐阜糖業株式会社から代金三十四万二千五百五十八円八十六銭に相当する砂糖を購入したが、原告会社の帳簿には右代金として三十八万五千五百三十九円十銭が支出されたことになつていて、その差額四万二千九百八十円(二十四銭切捨)が使途不明となつていること、(四)のように、原告は訴外協同興業株式会社から「ビタミンカルシユーム」を購入していたが、その代金は昭和二十五年六月十四日に原告の右訴外会社に対する「ビスケツト」加工賃債権と相殺され既に前記代金債務は消滅しているにも拘らず同月三十日右代金として二万五千九百二十円が原告会社から支出され、その使途が不明であること、(五)のように、原告会社は昭和二十五年九月二十二日代金二万一千九百五十円に相当する紙袋を仕入れたが、右代金として三万六千八百円が支出され、その差額一万四千八百五十円が使途不明となつていること、(六)のように原告会社は昭和二十五年十一月十七日訴外協同興業株式会社から「ビスケツト」加工賃百五万六千二百六十六円五十六銭の支払を受けたところ、被告はその頃右金員のうち五十二万四千二十円を着服横領したこと、(七)のように、原告会社の帳簿に原告会社が訴外富士工業株式会社から紙袋を購入し、その代金として昭和二十五年九月二十二日二万円、同年十二月三十日一万七千円を支出した旨の記載があるにも拘らず右金額合計三万七千円の使途が不明であること、(ハ)のように、原告会社から利息の支払名義をもつて昭和二十五年八月三十一日千六百七十四円、同年九月三十日千五百九十三円、同年十月三十日千四百三十四円合計四千七百一円が支出されているが、いずれも使途不明であること、(九)のように、原告会社の昭和二十五年一月一日から同年六月三十日までの事業年度中に退職積立金から一万二千円、同年七月一日から同年十二月末日までの事業年度中に退職積立金から五千円合計一万七千円が引出されているがいずれもその使途が不明であることが認定できるのであつて、証人渡辺芳一の証言及び被告本人の供述中以上の認定に牴触する部分は採用の限りでなく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
しかして前記認定のうち(六)の被告の横領にかかる五十二万四千二十円は原告が既に被告から賠償の支払を受けたことは原告の自認するところである。その他使途不明の金員合計八十二万五百七十九円については、被告が当時原告会社の代表取締役であつた故をもつて当然不法行為上の責任を負うものでないことは勿論であるところ、本件に顕われた全証拠資料をもつてするも被告が故意又は過失によつて右金員を横領し、又は使除不明になさしめたために原告会社に損害を与えたこと(帳簿上使途不明であることが直ちに損害とはいえない)など、不法行為の成立に必要な要件を認めることができないので、原告の被告に対する不法行為上の損害賠償請求は理由がない。
次にいずれも成立に争いのない甲第一ないし第七号証及び同第十二第十三号証に、証人日比登、村岡道三、松田正己の各証言と、原告代表者本人の供述とを綜合すれば、原告会社を所轄する岐阜南税務署長は、前記認定の横領或いは使途不明の金員のうち第二別表(ロ)の百二十八円を除く百三十四万四千四百七十一円は原告会社の昭和二十五年度における利益金であつて、結局代表取締役である被告の所得に帰した賞与であると認定し、又これとは別に原告会社には同年度において八万七百四円の利益金が記入洩れとなつており、この利益も亦被告が賞与として原告会社から受領したものと認定し、以上合計百四十二万五千百七十五円につき被告に対する昭和二十五年度の給与所得の源泉課税本税六十四万七千五百八十六円及び源泉徴収加算税十六万千五百円の課税を決定し、昭和二十六年十二月二十七日頃徴収義務者である原告会社にその納付方を通知して来たこと、原告は右税金納付のため金策に相当の日時を要したのでその後更に利子税、延滞加算税合計二十万五千五十円を課せられ、以上合計百一万四千百三十六円を昭和二十七年十月四日頃所轄税務署に納入したことを認めることができる。原告は被告に対しこれが償還を請求するので審按する。
思うに給与の支払者は国に対し、給与の支払を受ける者から所得税を徴収してこれを国に納付すべき義務を負うと同時に、他方給与の支払を受ける者に対しても右徴収納付の事務を処理するに当り善良なる管理者の注意義務を負うものと解するを相当とする。従つて給与の支払者がこの注意義務を怠り、元来課すべからざる源泉所得税を漫然納付し、予め給与の支払を受ける者から徴収しなかつたからといつて後にその者に対し償還を求めることは許されないと解すベきであるが、前記注意割務を怠らなかつたならば、たとえ結果において不当な課税であつたとしてもその求償をなし得るものといわねばならない。そしてこの場合においては、納税義務者とされた者(本件においては被告)が国に対しその不当を争うべきである。
この見地から本件を按ずるに、いずれも成立に争いのない甲第一ないし第七号証に、証人日比登、村岡道三の各証言及び原告代表者本人の供述によれば、原告会社は被告が原告会社の代表取締役退任後である昭和二十六年十月二日頃所轄岐阜南税務署係官から経理の調査を受け、次で同年十一月十七日頃同税務署長から「昭和二十五年度における使途不明金百四十二万五千百七十五円は、当時の代表取締役である被告に支給された賞与と認定し、これに源泉徴収所得税を課す」旨の通知を受けたので、原告会社は驚いて被告にその旨連絡し、被告は直ちに前記税務署長に異義を申立てたので、その結果再度税務署係官の調査を受けるに至つたが、その際被告は原告会社の経理担当重役であつた訴外棚瀬治郎吉と共に右調査に立会したにも拘らず、結局被告は税務署係官を納得せしむるに足る説明をなし得なかつたので、遂に異議は容れられず、同年十二月二十七日に至り源泉課税本税六十四万七千五百八十六円及び源泉徴収加算税十六万一千五百円を課せられたので、原告会社は止むなくこれに服したことを認定するに充分であり、被告本人の供述中右認定に反する部分は採用できない。以上のように納税義務者とされ、しかも原告会社成立当初から昭和二十六年二月十六日まで原告会社代表者であつた被告においてすら覆し得なかつた税務署の認定を、代表者が交替した後の原告会社が止むなく受入れたからといつて、善良なる管理者の注意義務を怠つたとはいえない。何んとならば、かかる場合何人といえども一応税務署の認定に服することが通常の事例と考えられるからである。従つてこの場合その課税が正当であれば無論のこと、仮に課税が不当であつても原告会社は自己が納付した源泉所得税につき被告にその償還を求め得ることは当然であるから(所得税法第四十三条)、被告は原告会社に対し源泉所得税額六十四万七千五百八十六円の支払をなすべき義務のあることは明白である。
しかしながら、源泉徴収加算税、利子税及び延滞加算税は、この場合徴収義務者である原告に対し課せられたものであるから(所得税法第五十六条、第五十七条第四項、国税徴収法第九条)、原告はこれ等の税金を被告に代つて納付したことを理由としては被告にその支払を求めることはできないものというの外なく、この請求はそれ自体理由がないといわねばならない。即ち原告の税金償還請求は、本税である六十四万七千五百八十六円の支払を求める限度において理由があるに止まり、その余の請求は失当である。
以上の説明によつて明かなとおり、原告の本訴請求は六十四万七千五百八十六円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明かである昭和二十七年十月二十五日以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においてその理由があるのでこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小渕連)